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「伝の心」で記されたALS闘病記について
「ジュウマンブンノイチ ダメ親父のALS闘病記」は、鶴巻温泉病院の障がい者・難病リハビリ病棟に入院された、ペンネーム 「ジュウマンブンノイチ」さんが病気を発症した2014年からの闘病生活を「伝の心 (でんのしん)」を使って連載されたコラムです。辛いこともありますが、それに負けずに、時にはユーモラスに描かれています。
「ジュウマンブンノイチ ダメ親父のALS闘病記」目次
ジュウマンブンノイチ ダメ親父のALS闘病記「まえがき」
まえがき
まず初めに なぜこの手記を書こうと思ったかについて。入院中ただ漠然と毎日を過ごしていた時、伝の心というツールを手に入れることが出来ました。使っていくうちに、そうだ記憶が失せる前に今までのことを書いてみようと思ったのです。
ジュウマンブンノイチ ダメ親父のALS闘病記 2014
2014年 4月 始まり
今思えばこれがこれから起こるであろう想像を絶する生活の始まりではなかったのではないかと思う。
朝起きたときに伸びをすると、今まで味わったことがない痛みを伴って両足がつった。何日か続いているうち思いっきり伸びをしなければ痛みがMAXにならないことに気付き、毎日気を付けて起きるようになる。
仕事のせいで忙しすぎたからと、自分に言い聞かす。
ジュウマンブンノイチ ダメ親父のALS闘病記 2015
2015年 1月 筋萎縮性側索硬化症
入院での検査も終わり結果を聞くため個室に呼ばれた。血液、髄液、二酸化炭素量など問題ないらしい。ホッとするどころか嫌な予感しかしなかった。
運動ニューロンの病気ですねと言われた。病名はと尋ねると、病名を付けるとするならば筋萎縮性側索硬化症でいいでしょうと言われた。すなわちALSだ。あきれて涙も出なかった。宝くじも当たったこともないのに十万人に一人の難病、こんなものばっか当たらないでよと思った。
仕事はどうするの、住宅ローンだってやっとあと二年まで来たのにとDrに食って掛かってみたもののどうにかなるものでもなかった。これからの過ごし方などを説明していたと思うが、頭の中が真っ白になりよく覚えていない。確かとろみがついたものを食べるようになるとか、今すぐどうこうなる病気ではないので人生の終い支度をしなさいとか言われたようだ。この言葉の意味は一年後、思い知らされることとなる。
ジュウマンブンノイチ ダメ親父のALS闘病記 2016(1)
2016年 1月 大盛りのご飯
家の中では歩行器で歩いているが、歩行器ごと倒れてしまうことが多くなった。一度転んでしまうと一人では立ち上がることが出来なくなってしまいました。一人で家にいるときもし転んでしまって誰かに発見されるまで倒れたままでいると思うと恐怖を感じ、トイレに行くのも怖くなってしまいました。
自分で風呂に入ることが出来なくなってしまった今、風呂に入れてもらうためディに通っていると思えば少しは気が楽になった。家では経管栄養がメインでディでの昼食が楽しみだと知った所長が、毎日大盛りのご飯を腹いっぱい食べさせてくれた。
ジュウマンブンノイチ ダメ親父のALS闘病記 2016(2)
2016年 7月 すべてのことがリハビリ
おそらく発病から2年が経過したとみられる。2年前はバリバリと仕事をしていた人間の今現在はというと、見る、聞く、考えるといったことに変化はないが運動能力に関しては止まることなく進行し続けて自分で呼吸すること以外、人様の力をお借りしないと何一つまともなことが出来なくなってしまった。この辺で進行が止まってくれないと後は呼吸障害が始まってしまうのか。本当に厄介な病気だ。
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