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鶴巻温泉病院 〒257-0001 神奈川県秦野市鶴巻北1-16-1 TEL 0463(78)1311

障がい者・難病リハビリ病棟スタッフコラム

障がい者・難病リハビリ病棟】の最新情報や取り組みをお伝えしています。

ジュウマンブンノイチ ダメ親父のALS闘病記 2016(1)

2017.09.20

2016年 1月 大盛りのご飯

家の中では歩行器で歩いているが、歩行器ごと倒れてしまうことが多くなった。一度転んでしまうと一人では立ち上がることが出来なくなってしまいました。一人で家にいるときもし転んでしまって誰かに発見されるまで倒れたままでいると思うと恐怖を感じ、トイレに行くのも怖くなってしまいました。

自分で風呂に入ることが出来なくなってしまった今、風呂に入れてもらうためディに通っていると思えば少しは気が楽になった。家では経管栄養がメインでディでの昼食が楽しみだと知った所長が、毎日大盛りのご飯を腹いっぱい食べさせてくれた。

2016年 2月 ラジカット

ラジカットの第一クールがやっと終わった。Drから第二クール以降も出来ますがどうしますかと聞かれたが、かみさんの負担などを考えるとどうしても続けてお願いしますとは言えなかった。この頃は車に乗るのも一苦労で一度失敗して崩れてしまうと、たとえが悪いが死体を車にでも乗せようとするとこんな感じになるのであろうか。かみさん一人では大変で10分余り格闘してやっと乗せるような状況であった。

家のトイレから出て歩行器に乗り移ろうとしたときに倒れてしまって床に頭を打ち付けてしまった。今回は出血がひどいようだ。かみさんでは手に負えず訪看さんの判断でまたもや救急車のお世話になってしまった。傷が大きかったようで7針縫うけがとなってしまった。同じところばかりぶつけているのでまるでブッチャーの額のようだった。

2016年 3月 訪看さんに聞かれた

ラジカットの投与が終わってしまったせいなのか、病状が一段と進んでしまったようだ。足が震えだす、よだれを垂らすようになる、吸引が始まる、普通食形状の食事だとむせる、話す言葉がほとんど理解してもらえなくなった。

最後の頼みの綱であった右手が機能しなくなり、今までかろうじて出来ていたことがほとんど出来なくなってしまった。歯磨き、髭剃り、かゆいところをかくこと、コップを持っていられないのでストローで飲むようになる、ベッドから起き上がれなくなるなど。もう鏡を見ることをやめた。鼻くそが飛び出ていても寝癖がついていても自分ではどうすることも出来なくなったためだ。

訪看さんに聞かれた、「つける方向でいいんだよね、人工呼吸器を一度つけると外してと言われても外すことは出来ないんだよ、生きていく上で娘の結婚式に出たいとか孫の顔が見たいとか大きな目標とかある?」と。以前は付けてでも生き延びようと思っていたが、今となっては食べたいものが食べられるわけではないし、話したいことがすべて伝わるわけではないし、やりたいことが出来るわけでもないし、大した目標もない。かろうじて唯一自分でできている呼吸でさえそのうち機械の力を借りなくてはならないとは。今の自分にはそこまでして生き延びる自信がないと伝えた。

2016年 4月 レスパイト

つかまり立ちも出来ないほど体幹が弱ってきた。転んでしまうと自分では起き上がることが出来ないので人を呼ぶのだが、かみさん一人では起こせなくなってきた。こちらとしては早く起こしてよ、なんでこんな簡単なことが出来ないの、このままの状態で放置されると思うとパニックになり喚き散らすようになった。夜中の吸引やトイレ介助も増えてきた。そんなことが続いているうちに、とうとう壊れてしまったようだ。「もう顔も見たくない、お願いだから早く死んで」とまで言わせてしまったのである。そんなこと言われても家では頼るのがかみさんしかいないのだ。

在宅介護を見据えた住宅改修がやっと終わったばかりなのだが雲行きが怪しくなってきた。レスパイトも検討したようだが、おもたい人から優先らしく自分ぐらいでは思うように使えないようだ。

2016年 5月 鶴巻温泉病院

せっかくディへ行く生活にも慣れてきたところなのにどうやら病院へ入れられてしまうようだ。もはや本人の希望など聞いてくれもしない。

歩けるうちに見学しておいた、鶴巻温泉病院が受け入れてくれるみたいだ。もう毎日風呂に入れないのと、寝癖頭を人前にさらすのが嫌だったので、生まれて初めて五厘刈りにしてみた。思ったよりさっぱりしていて気持ちがよかった。

去年の秋ごろ申請したときは却下されたが、住宅ローンの免除申請が通ったみたいだ。皮肉なものだ、あと少し働かせてくれれば終わったのに、どうせ病気になるならローンがうん千万も残っている時になってくれればよかったのにと思った。

病院へ向かう日、乗せられた車の窓から見た家の外観も、犬の顔も、周りの景色も二度と見れないと思うと目頭が熱くなった。拘置所を出た護送車が刑務所に向かうときに、車窓から外を眺めている終身刑の受刑者になったかのような気分だった。

2016年 6月 入院初日

入院初日、寝る前にトイレに連れて行ってもらおうとお願いしたら今の時間は無理だから尿瓶でしろというのだ。そういえば事前説明の時に夜勤帯の時はそのような対応になると言っていたのを思い出した。

とはいってもまだ8時だ、いったい何時までにしろというのだ。仕方なくトライしてみるが今まで一度もしたことがないので出そうと思っても出ないのである。我慢して朝になりまたお願いするとまだ駄目だというのである。いったい何時になったら連れて行ってもらえるのかと尋ねると9時半以降だというのだ。あと何分とカウントダウンしながら我慢していたのだが、たまらず失禁してしまう。でも寝た状態でも出るということが分かったので、次の晩からはあの時の感覚を思い出しながら徐々にできるようになった。

入院当初かろうじて自力で食べられていたのだが、二週間を過ぎたあたりで右手がまるっきり上がらなくなった。その日以降全介助での食事となってしまった。

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