SSDブログをリニューアルしました。
サービスシステム開発室(SSD)からのお知らせ、退院患者さま・ご家族から寄せられたメッセージ、当院へのご意見とその対応などをブログ形式でお伝えしています。
ブログのタイトル画像は、大山の空の青さと秦野の八重桜のピンク、希望の虹をイメージしています。
退院患者さま・ご家族からのメッセージ「ありがとう」
ブログ「ありがとう」では、退院された患者さま及びご家族から、当院に寄せられたメッセージをご紹介させていただきます。病棟名をクリックしていただくと病棟別の退院患者さまメッセージをお読みいただけます。
充実したリハビリテーションの日々でした
約1ヶ月余りの短い入院でしたが、大変お世話になりました。一日の始まりはナースステーションの周りを70分歩行練習、8:50からのラジオ体操、その後、当日のリハビリの時間割りで私の一日が始まります。
感謝、感謝の一言です
病院の皆様にはお世話になり、ありがとうございました。スタッフの皆様が気持ち良く対応して下さいました。お見舞いに来てくださいました方々も、「いい所ですね」と部屋が明るいことも良かったようです。
心遣いに助けられました
緩和ケア病棟で義父が1ヶ月お世話になりました。どうすることがいいのか迷いながらの転院でしたが、転院したその日の昼食から何が食べたいのか尋ねてくださり、少しでも食べられるようにと考えてもらえました。
風呂上りのほころんだ顔
宣告されての転院で心が痛んでおりました。でも、皆様の手厚い介護そして声掛けをいただき、心和み癒されました。特に、週2回の風呂上りの主人のほころんだ顔は忘れられません。強い生命力で令和を迎えることができました。9ヶ月本当にお世話になりありがとうございました。
最後まで母らしく...
鶴巻温泉病院に入院して2ヶ月弱でしたが、最後まで母らしく明るく過ごすことができ、職員の皆様方とおしゃべりやレクレーションを楽しみ笑い声が聞こえ、亡くなる前日まで会話し、安らかな顔で一生を終えました。
長きに渡って
2014年5月30日から約5年間お世話になりました。その間、本人の兄(87~88歳)も約5ヶ月入院する事になり、私は伯父と実父の2人を2018年、2019年に看取ることになりました。伯父は5東、実父は2東他4病棟にお世話になり、多くのスタッフの方に助けていただきました。
たくさんの方を笑顔に
入院中は大変お世話になりまして誠にありがとうございました。声も出ず、経管栄養であった父が随分とわがままを言っていたと思いますが粘り強くリハビリをしていただいたおかげで退院時には、普通食をゆっくり取ることができ、声もしっかりとして意思疎通が容易になりました。
最後まで私たちは一緒でした・・・
主人は最後まで自宅でと希望しており、私もできるだけのことはやってきましたが、痛み止めが効かなくなり、歩行器を使って夜中に何度か家の中の段差でつまづいたのをきっかけに、緩和ケア病棟のある病院3ヶ所を見学に行き、こちらにお世話になることを決めました。
強い気持ち
どの方々も患者を助けるという強い気を持っていられ、どの先生も看護師さんも皆、親切で質の高い治療をしてくださったと思っています。大変、感謝しております。(患者さまより)
一生忘れません
緩和ケア病棟に母が亡くなるまで、短い期間でしたが2週間お世話になりました。入院までの間も、先生に何回か相談にのっていただき、親身になってアドバイスをしていただきました。入院直後、家に帰ると言って荷物をまとめ始めたときはご迷惑をおかけしました。だんだんと母の心が穏やかになり、看護師さん達と楽しくしている姿を見て、この病院に入院して本当に良かったと思いました。
奇跡
入院中は大変お世話になりました。患者の家族のものです。本人は、脳梗塞のリハビリのため、2019年1月から7月までお世話になりました。ついこの間まで当たり前に動いていた左手や足が動かず、どうなるのかと不安を抱えながらのリハビリでした。こちらに入院した直後は、自分で車椅子に移乗もできない状態でしたが、入院後すぐにリハビリが始まり、トイレに自分で行けるようになり、車椅子に移乗できるようになり、補助器具をつけて自分で歩けるようにまでなりました。
寄り添って
圧迫骨折をして急性期医療病院へ2週間入院し治療していただきましたが、すっかり心身共に弱り歩行が困難となってしまいました。本人の希望もあり回復期リハビリセンター鶴巻温泉病院へと転院し、期待を胸に入院させていただきました。入院当初は食事も満足に取れず低栄養で床ずれ(褥瘡)になる程でした。
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