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「伝の心」で記された闘病記録 2015

「伝の心」で記された闘病記録

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「伝の心」で記された闘病記録

ジュウマンブンノイチ
ダメ親父のALS闘病記|まえがき

まえがき

まず初めに なぜこの手記を書こうと思ったかについて。
入院中ただ漠然と毎日を過ごしていた時、伝の心というツールを手に入れることが出来ました。使っていくうちに、そうだ記憶が失せる前に今までのことを書いてみようと思ったのです。


私は以前、建築関係の仕事をしておりました。ある日突然病気にかかり病名を告げられてからは不安で、ネット記事を読みあさりました。そのとき生の情報が少ないような感じがしたので、同じような境遇の人に少しでも参考になればと又、この病院では珍しい病気ではないかもしれないけど、この病気がどのように進行していき、そのとき何を考えていたかなど医療従事者の方にも参考になればと公開することといたしました。


「伝の心」で記された闘病記録|ダメ親父のALS闘病記 2014に続く...。


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伝の心

意思伝達装置「伝の心(でんのしん)」


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患者さま・ご家族様の声

ジュウマンブンノイチ
ダメ親父のALS闘病記|2015

2015年 1月

入院での検査も終わり結果を聞くため個室に呼ばれた。血液、髄液、二酸化炭素量など問題ないらしい。ホッとするどころか嫌な予感しかしなかった。

運動ニューロンの病気ですねと言われた。病名はと尋ねると、病名を付けるとするならば筋萎縮性側索硬化症でいいでしょうと言われた。すなわちALSだ。あきれて涙も出なかった。宝くじも当たったこともないのに十万人に一人の難病、こんなものばっか当たらないでよと思った。

仕事はどうするの、住宅ローンだってやっとあと二年まで来たのにとDrに食って掛かってみたもののどうにかなるものでもなかった。これからの過ごし方などを説明していたと思うが、頭の中が真っ白になりよく覚えていない。確かとろみがついたものを食べるようになるとか、今すぐどうこうなる病気ではないので人生の終い支度をしなさいとか言われたようだ。この言葉の意味は一年後、思い知らされることとなる。

2015年 2月

かみさんがALS協会で情報を仕入れてきてくれたり、NETでいろいろと調べてくれた。ドライマンゴー、カシューナッツ、イチョウの葉のお茶など何でもやった。一方、当の本人はというと、この先どうやって仕事をしていこうかということ以外頭の中になかった。

2015年 3月

気力はあるのだが体がゆうことを聞いてくれない。高いところからではないが足場から落ちたり、つまづいて転ぶことが多くなった。不思議なぐらい手が出ない、顔面からいってしまうのだ。ヘルメットをかぶっているせいか意外にダメージは少ない。周りに迷惑をかけるわけにもいかず、仕事量を減らしていくしかなかった。

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2015年 4月

体調に大きな変化はないが、ふと気が付くと先月まで出来ていたことが今月になったら出来ないといったことの繰り返しだ。重たいものが持ち上げられなくなった。高所作業の時足がブルッてしまい力が入らない。仲間に手伝ってもらいながらの作業が多くなる。

2015年 5月

いつかは決断しなければならないのだが、Drやかみさんから今の仕事いつまでやるつもりなのといわれた。Drから胃ろうについての説明があった。嚥下障害が進んでからでは胃カメラが飲めなくなり作りたくても作れなくなるそうだ。いづれ作る意思があるならば少しでも元気なうちにやったほうがいいと言われた。

2015年 6月

気力だけではどうにもならなくなり限界を感じたので、今の仕事が終わる7月で辞めることを決断した。早速、胃ろうの造設をお願いしました。入院が必要なのでそれと同時に、保険適用になったラジカットの投与もお願いしました。

この頃この病気で出るのは珍しいそうだが、強制笑いが激しくなってきた。感情の変化がすべて笑いに直結してしまうのだ。面白いことやうれしいことはもちろん、失敗した人を見ただけで、モノが動いただけで笑いが出てしまうのだ。周りに悟られないようにするのに必死でした。

ラジカット

ラジカット(ALS情報サイトへリンク)

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2015年 7月

おそらく発病から1年が経過した。まさか40代で仕事を辞めなくてはならなくなるとは思いもしなかった。仕事仲間が盛大に送別会を開いてくれた。ほとんどの人が元気になったらまた一緒に仕事をしようなと言ってくれたが、そのような病気ではないのだ。
何もかもが終わってしまったような気がした。

今月から訪問看護と訪問リハビリが始まった。まだ自分では必要ないと思っていたが、着実に敷かれたレールの上を進んでいるような気がしてならなかった。

2015年 8月

胃ろうの造設も終わり、ラジカットの点滴が始まった。

腹に穴が開いていてチューブが突き刺さっている、それを見たとき今までは何かの間違えであってほしいと思っていたけれど、自分は重篤な病気なんだと認めざるを得なかった。

時間がたっぷりあるので、朝早起きして娘の弁当を作るようになった。昼間はのんびりと仕事の残務整理をしていた。そのとき家の前の道路でつまづいて転んでしまった。頭から流血しているようだ。足が痙攣していて立ち上がることができない。そんなところを通行人に発見されてしまい、ひき逃げの現場だとでも思ったのか通報されてしまう。生まれて初めて救急車のお世話となった。大事には至らずその日は帰された。結局この日は三回も転んでしまい、その日以降杖なしでは歩けなくなってしまいました。

2015年 9月

また少し症状が進行しているようだ。箸がうまく使えなくなりスプーンで食事をとるようになった。

フライパンが振れない、包丁が思うように使えない、洗い物をしていても皿を落としてしまう。もう料理をするのは無理なようだ。

かみさんが買い物に連れて行ってくれなくなった。もう一緒に連れ歩くのは危ないと判断したようだ。ある日自分が食べたい物を買いに行こうと車に乗り込んだところ、かみさんに車のキーを取り上げられた。自分ではまだ車ぐらい運転できると思っていたが、今思えば殺人犯にならずに済んでよかったであろうか。

稼ぎがなくなった今ビールを買ってきてとも言えず、今まで365日休肝日無しで呑んでいたがそれ以降アルコールは呑んでいない。

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2015年 10月

庭で転んでしまいまた額から出血、今回は傷が深いようで二針縫うけがとなってしまった。もはやヘッドギアでもつけていないとまずいのかと思った。

家の中では歩行器を使って歩くようになった。そんな状態で家に一人置いておくのが心配なのか、とうとうディサービスに行かされるようだ。そんなところに行きたくはないが、もはや本人の希望など聞いてくれなくなった。

つい数か月前まで仕事をしていた人間が今、老人と同じテーブルのところに座らされている。そんな自分を到底受け入れることが出来ない日々が続く。

このころ訪看さんからあることを聞かれた。あまり考えたくないだろうが究極の選択をしろというのだ。それが決まらないと今後の看護方針が変わってくるというのだ。その頃は身の回りの最低限のことは自分でできたし、その延長線上で呼吸器の力を借りるぐらいのイメージだったので、付けてでも生き延びようと思っていました。

2015年 11月

通院でのラジカットの点滴は大変だ、入院の時とはわけが違う。かみさんが仕事を早く切り上げて、期間中はほぼ毎日時間を気にしながら病院へ連れていくのだ。本当に頭が下がる、それに見合った効果が表れてくれればいいのだが。介護タクシーも使ってみたが、一回六千円ほどかかってしまい現実的ではなかった。在宅での介護は本当に大変だと思った。

この頃から腕を上げることが難しくなり、風呂に入るのがしんどくなり着替えをすることも出来なくなってしまった。
この病気は本当に進行性の病気で、止まってはくれなそうである。

2015年12月

相当注意しないとうまく水を飲めなくなった。それと同時に煙も飲めなくなったのである。タバコを吸っても肺まで煙がうまく入らず、軽いタバコを吸っているようでおいしくないのだ。指の間に挟んでもポロッと落としてしまうし、ライターの火を着けることさえ出来なくなってしまったのだ。肺ガンにでもならない限り止められないと思ったタバコが、すんなり止められたのは驚きだ。

訪問リハのOTさんが文字盤を作ってくれた。この時はしゃべりづらさはあったが会話ができていたので、本当にこんなものを使って会話する時が来るのだろうかと思っていた。
ディへ行く回数も増えて家にいる時間が減った。残務整理、片付けが進んでいない。やりたくてもこれだけ手足が不自由になった今は難しくなってきた。のんびり確定申告でもやろうと思ったが、PCのキーボードを打つことさえ怪しくなってきた。

Drの言われた通り、いつまでも仕事なんかしていないで直ちに身の回りの整理を始めるべきだったと今は後悔している。まさか一年でここまで体が不自由になるとは思ってもみなかった。

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